いじめ問題にヨガができること
中学校でのヨガのお仕事で、校長先生からいじめ問題の資料をいただきました。
いじめの問題は、一筋縄で説明がつくものではありませんが、わたしがヨガから学んだいくつかの視点をご紹介させていただければと思います。
無意識に疲れがとれない年代
子供たちが「むかつく」とき、緊張しているのは胸の裏にある「胸椎5番」だと言われています。
私たちの日常のテンポはほんの数年前と比べても格段に早まっています。どんな情報もからだを刺激するという意味では、一種のストレスです。大量かつ、高頻度の情報ストレスにさらされたからだは、緊張状態から逃れられません。
ストレスを感じると、人はまず、胸で反応します。昔から、なにか心苦しいときは「胸が痛む」、胸がむかつく、などという言葉もあります。胸は刺激が真っ先に反応する、身体のストレスセンサーなのです。
より厳密には、胸の中心である胸椎5番の高さにある「だんちゅう」というツボのあたりが収縮します。そうなると、身体は「構え」の姿勢をとるのです。しかし、構えの姿勢も、ストレスが消えれば、身体を緩ませる反応へと変換されるはずなのです。しかし、現代の情報環境は、私たちにその「弛み」を許してくれないのです。次から次へと、パソコンやスマートフォンから情報が飛び込んできます。
情報の大きさではなく、その情報が途切れてくれない、ということが、胸の緊張ー弛緩しきれない状態ーというサイクルを延々と繰り返さざるを得なくさせまます。身体は次の弛緩に対し、いつも過敏になっており、骨盤の緊張も続きます。胸も骨盤も緊張しっぱなしになることで、当然深い呼吸がさまたげられ、身体の疲労回復機能が機能しません。
神経回路の輪廻
ヨガでは私たちの癖になっている行動パターンや思考パターンのことをサンスカーラと呼びますが、現代の医学では、私たちの神経回路がフィードバック機能を持っていることがわかってきました。神経伝達物質が過剰に放出されたり、あるいは不足したりすると、同じことを延々と考えたりしてしまうわけです。もちろん、よいフィードバック回路もあります。いいことをしていくと気分が良くなって、行動がかわっていく、などです。
しかし、つい繰り返してしまういじめ行為もこのように、子供たちの神経の中でやめられないパターンになってしまっているような気がしてなりません。
どうして大人になると、いじめはなくなるのでしょうか。
気がつくからです。くだらないと・・・
大人になってからもいじめを続けている人は、相当ひまで、他にやることがない人でしょう。人生には他にももっと大切なことがあると、気がつけば、そんなことに時間は割かなくなります。
ヨガでも、やめられないパターンや輪廻の苦しみから抜け出すためには、自分を観察して、気づきを得ることからだと説いています。気づかない限り、私たちの神経は繰り返しますから、抜け出せないのです。しかし、学校という集団の中にいたら、なかなか子供たち一人一人が気づく、というのは難しいかもしれませんね。客観的に観察する機会が必要です。夏休みなどにポーンと外国に滞在させ、他の価値観、他の環境にいったん身を置いてみるというのはいいのではないかと思います。
自己肯定感は直立不動の「気をつけ」ではなく、堂々とした「山のポーズ」から
副交感神経の乱れが気になる現代ですが、この、身体を回復させたり、毒素を排出したり、穏やかさ、平和さをつかさどる副交感神経は、自己肯定感が阻害されたときに乱れると言われています。人に否定されたり、自分で自分を肯定できなかったりすると、確かに私たちは「闘争・逃亡」の態度をとります。
学校で当然のように習う「気をつけ」の姿勢ですが、確かに社会を行きていくために必要な学びかも知れません。しかし、ヨガを学校教育に取り入れ始めた諸外国では、気をつけと同時に、自分の二本の足で堂々と立つ「山のポーズ」を教え始めています。子供たちは自立するということがどういうことかということを考えると同時に、自分は誰なのか、つまりありのままの自分を認め、肯定するプロセスを学ぶのです。
いじめとは、他者を否定しないと、自分のことを肯定できない、精神の未発達の状態です。大人になり、自分というものができてくれば、自分と同じように相手も辛く苦しいのだということがわかってきます。
「自分の価値を認めるという学び」という、新しい青少年教育が、すでに諸外国では始まっています。
日本でも、ヨガを早急に学校教育に取り入れるのは非現実的だとしても、この「二本の脚で堂々と立つ」山のポーズを体験してみる機会があるといいなと思います。
(同じように、体育の授業の内容も変わってきています。運動能力を高めるという指導方法から、一生涯、心も身体も健やかにすごせるような、日常の運動習慣をつけることの大切さ、ストレス対処法についての指導が増えてきています)