メディカルヨガ

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父のためのメディカルヨガ:快(スカ)がなければ生きられない!

糖尿病の数値は落ち着いたものの、まだひざと腰が痛く、でかけることも怖い怖いという父に、今度は次の提案をしてみることにしました。父が歩いて通える場所にある、マッサージ屋さんを探してみました。一週間に一回でいいので、父がリラックスできる時間を強制的に作ろうというものです。それはなぜかというと、ヨガにおける「スカ」という概念に注目したからです。尊敬する伊藤武先生に「スティラム スカム アーサナム」の解釈をお聞きしたところ「ポーズとは安定していて快適なものである」でもいいけど、ぼくは「ポーズってチョー気持ちいー」って思うようにいているよ、とのことでした。もちろん、ポーズ(アーサナ)とは、本来「Be」いる、つまり人のあり方のことです。人のあり方は本来「チョー気持ちいい」であるべきなのかもしれません。だけど、残念なことに私たちはその気持ちよさを十分に享受できない生活を送っています。そしてそれが当たり前だと思っている、いや、洗脳されているのかもしれません。私は、私自身がいい先生に恵まれているのかもしれませんが、昔住んでいた近所にとても気持ちよいマッサージをしてくれるところがあります。厭なことがあっても、そこにいって話を聞いてもらうだけで、身体だけでなく、気持ちからもふーっと力が抜けます。人には誰でもそんな避難場所があってもいいのかもしれません。話がそれましたが、私は、父の生活の中に「気持ちがいい」という時間が増えたら、きっと何かが変わるのではないかと思ったのです。

父に教えた、サンドバックを使った腹式呼吸や、ボルスターを使った腰伸ばしは今も続いています。
このサンドバッグですが、メンタル的にはこういう効能もあるそうです。最初は身体が重みに抵抗します。でも、しだいに、身体がその重みを受け入れ、慣れていく。そして、重みを外したときに身体は開放感を感じます。ふーっと解放される感覚、これこそが(父は違いますが)落ち込みから抜け出せない人に「希望」を身体の感覚をもって味わう体験となります。アイピローも同じです。外したときに、ぱっと光が差し込む感覚です。ゆっくりとしたねじりもそうです。ねじりを解放したときの感覚。辛いことばかりの人生と思うかもしれないけど、気持ちいいという感覚はまだある、ということを、身体をもって思い出させるプロセスです。たとえば、ヨガのポーズをとるときに1,2.3.4.5とカウントするのと、5.4.3.2.1 とカウントするのとはどんな感じの違いがあるでしょうか。終わらないものごとはない、と信じることができるとしたら、5秒間、ポーズをもう少し楽しんでみよう、と思えるかもしれません。

父は、散歩がてらマッサージ屋さんに通い始めました。保険が利くので、一週間に1回といわず、2回通っても大丈夫な予算です。病院までの通り道は子供の頃よく一緒に歩いた中津川のほとりです。父から電話で話を聞いたところ、担当してくれた方は、45歳ぐらいのもとボディビルダーの方で、20代の頃から40代に見られて困った話などをしてくれました。父はその方がたいそう気に入ったようです。「ボディビルダーだけに怪力で痛いんだけど、気持ちいいんだよ!」ととても嬉しそうです。痛いといっても、喜んでいるので大丈夫だと思いました。

ヨガの教えはとてもシンプルです。動いたら休む。起きたら練る。泣いたら笑う。私たちの人生は、バランスがとれ、帳尻がとれるようになっています。痛みを抱えていたら、その痛みと同じぐらい「快(スカ)」の感覚を生活にもたらしてあげなくてはバランスがとれません。実は、父の身体に手術をしなくてはいけない場所が発覚しました。でも、マッサージに通う前の父より今の父のQOLの方がよっぽど高く見えます。電話口の声も明るく、実際に帰省して目の当たりにした表情や姿勢も、まったく生き生きとしているのです。

リストラティブヨガの授業を通じてジュディス先生に教わったこと。それは「この世に産み落とされ、生きていくということは、痛みを学んでいくこと」だということです。世の中はよいことばかりではなく、つらいこともある。つらいことばかりでなく、よいこともある。そんな世の中でも、気持ち穏やかに前向きに生きていくためには、ということがヨガの学びです。病や痛みがあること自体が問題ではなく、その病や痛みを自分自身がどうとらえているかによって、幸福感は変わってきます。実際、私たちは自ら好んで心地よい痛みを欲することすらあるのですから。父の場合、カルテ上の健康状態は、もしかして症状がひとつ加えられたかもしれません。しかし、生活の中に「快」を味わう時間を確保することによって、(幸い父の場合、腰の痛みや脚の痛みが和らぎました。マッサージ師さんのテクニックに感謝です)父の生活の質は、総合的に見ると向上したのです。以前より笑顔が増え、冗談をいい、孫ともよく遊んでくれ、美味しく食事をしています。大好きな野球や競馬観戦も(テレビでですが)精が入るようです。

年々体調が優れず、気持ちが落ち込んでいる父をハワイに連れて行こうと思い立ってからはや10ヶ月。私個人はトライアスロンの練習を始め、飛行機を予約し、レースの申し込みをしました。盛岡から秋田への電車にも乗れないのに、飛行機なんか乗れるわけがないだろう、と言っていた父が、この冬嬉しそうにアロハシャツを買ってくれたという話を母から聞き、感激しました。そして、息子を連れて盛岡に帰省した先日、ようやく父が、自分の足でパスポートを申し込みに出向いてくれました。

ヨガでポーズを意味するアーサナの語源は「いる」という意味です。わたしたちはつい、何をしたらいいか(Do / Action ) にばかり思いを馳せてしまいます。そうすると、答えは「できる、できない」に向かっていってしまいます。でも、私たちの命が続いている限り、「いる」にできるできないもありません。「どのようにいるか」つまり、気持ちよくいるか、不機嫌でいるか、という選択肢はあります。
マッサージが病気を治せるわけではありませんが、気分が落ち込んで仕方がない、あるいは大切な人が元気をなくされている、そんなときはぜひ、生活の中に「きもちいいなあ」という瞬間を、わざわざつくってあげてみていただきたいな、と思います。

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