ナラティブベイスドメディスン:物語は誰のために?
エビデンスドベイスドメディスン(EBM) に対し、ナラティブベイスドメディスン(NBM)という考え方が、医療の現場でも注目を集めています。ナラティブとは、物語の、という意味です。
これを考えるとき、物語はいったい誰のために?ということを考えてみなくてはならないと思います。
自分の物語を聞いてもらえればすっきりするのだ、という単純な話ではないような気がするからです。
自分の例で恐縮ですが、自分のストーリーを人に聞いてもらいたいという気持ちがある反面、自分だけが大切にしているストーリーや、自分でも気がついていない自分の本音があったりするのではないでしょうか。
それを、つい人に話してしまう、あるいは聞かせてほしいと言われ話してしまったとき、後悔することはありませんか。
話したことで、余計に悶々としてしまう。
でも、良薬は口に苦しなのかも知れません。
何かに自分の気持ちを部分的にでも投影することで、自分の心の中にあったものが見えてくる。。
話してみることで、本当の自分の気持ちが否が応でも浮き彫りにされていく。
自分の物語を一番聞いてほしいのは、自分の内なる声なのかもしれません。
ヨガは自分との対話を大切にしていきます。
自分はどう感じているの?自分は今、何を思っているの?今、嬉しいの?今、さみしいの?悔しいの?
だから、よく効く薬だよ、という声が少なくないのかもしれません。
2013.6.16