メディカルヨガ

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ナラティブベイスドメディスンをもっと知りたい方へ

この曲を聴いてもらった方がナラティブベイスドメディスンについてはよくわかるかもしれません。
http://www.youtube.com/watch?v=jooBlbAy2M0

メディカルヨガ/乳がんリハビリヨガの普及に向け、ヨガの持つ「聴く」ということについてクラスで一緒に考えていきたいと思い、NBMについてまとめてみました。

EBM, エビデンスドベイスドメディスンとは、エビデンスという科学的根拠や研究結果に基づいて医療をおこなうべきだという考え方です。しかし今、EBMだけでなくNBM、ナラティブベイスドメディスンも同時に必要だといわれています。 病はもちろんからだの変化だけで説明することもできるかもしれません。しかし実際ひとというのは、一人一人が自分の人生を生きています。そこには検査のデータからはわからないデータがあり、それは患者さんの物語を引き出せるかによって、治療に使えるデータにできるかどうかが決まってくるからです。

エビデンスとは「過去の臨床疫学的な研究をまとめたもので、一定の基準で批判的吟味をし、正しいことが証明されているもの」といわれています。 また、病いとは医療人類学でいわれている用語で、病気と言われているものの主観的側面「辛い、苦しい、痛い、やってられない」という体験のことをさします。対し、疾患とは客観的な所見のことになります。 統計データのもとでは目の前の患者さんも数字の一つに過ぎなくなる可能性があります。それは治療者にとっても患者さんにとっても実はとても寂しいことです。 治療はうまくいったけど、患者さんはなぜか不満を抱えたまま。これでは患者さんも不幸ですが、一生懸命治療に取り組んだ医療従事者の努力も報われません。科学的に正しいと思われていることを懸命に行っても患者さんの満足が得られず、自信を失っている医療従事者もいます。
実は患者さんの満足度は治療の科学的な正しさとは別のレベル、つまり医師や家族との関係性にも大きな影響を受けています。 そこで、こうした点を汲み取って医療を考えていこうというのがNBMです。

そうだったのね、と認めてあげること

NBMの基本姿勢はまず患者さんのことを否定しないこと(患者さん自身が体験したこと、感じたことを肯定し、尊重すること)からはじまります。具体的には「批判せずに耳を傾けること」となります。批判や否定は暴力の一つです。人は誰しも、ありのままの自分のを認めてほしい、愛してほしい、というメッセージをもっているはずです。否定されて嬉しいはずはないのです。
もともと人間の文化は話をするという伝統に根ざしています。私たちの中には自分の人生を語り、聞いてもらいたいという願いのようなものがあります。研究によると、深く耳を傾け反応する際に治療的なやり取りが起こり、それが感情的、精神的な傷を癒すのに役立つそうです。心臓造形やエコー図ができる前はヒーラーが治療に多くの時間を費やしてきました。事実、研究によるとヒーリングの力は、人に秘密を打ち明けることにあると実証されています。話すことを抑圧することと病気には相関関係があり、話すことと健康増進にも相関関係があるそうです。どんなに治療を施してきても、自分のことを話し始めるまでは何も良くならない人がほとんどです。

複数の物語の共存を許容すること

実際患者さんの物語は一つではなく、また刻々と変化していくものです。それが、聴く側である私たちが一つの物語しか持てないようだと、ちゃんと聴くことができません。 患者さんの語りを聴くためには「無知の質問」をしていく必要があります。質問には二種類あり、応えがあらかじめ聞く側に用意されていて、それを確かめるために聞く質問です。答える方には「正しいことを言わなくてはならない」というプレッシャーがかかります。もう一つは「自分が知らないから教えてください」という態度の質問です。あなたが教えてくれないと、私はわかりません、という謙虚な問いかけです。しかし謙虚であることは人にとってとても難しいことです。聞く側が「きっと~に違いない」と先入観を持ってしまうと、傲慢にも会話を遮ってしまうのです。

しかし、聞く側が医療の専門家という立場では、現実にはそのように聞き続けていくのは限界があります。なぜならその病を治す手助けをするため、専門家としての物語を今度は伝えなくてはならないからです。 医師の側には科学的には何でも知っていなくてはというプレッシャーがあります。そのことが本当は患者さんに聞かなければわからないことが多い、ということを認めるのを難しくさせています。特に都市では親身な家庭医との治療関係は珍しくなり、テクノロジーにあふれた大病院や機械に診療はかわられています。聴診器も当ててもらえなかったとか、話し残しをおられたと嘆く人も少なくありません。医師がもっと患者の話を良く聞けば臨床結果もよくなるという研究報告は知られているはずなのに、現場では多くの患者を診なくてはならないのです。 研究によると、医師は患者が話しだしてから平均18秒で遮るのだそうです。話を聞かなくても血液検査やレントゲンで診療に必要な情報がとれる時代だからです。

医療は学際的(バラエティ)であるべき

医師でなくとも人は白黒はっきりさせたい、という性質があります。 しかしNBMの実践で大切なのは、聴く側の態度を柔軟にし、物語の多様性を許容できるようになることです。一つのことを説明するのに、一通りの説明しかできないわけではありません。たとえば風邪一つとっても、科学的な説明、免疫の変化からの説明、根性論、どれも正しい可能性があります。がんのような致命的な病気の場合はもしかしたら決断を下さなくてはならないかもしれません。でもその場合でも医師が選択肢をひろげ「あなたが選びなさい」というのでは突き放しているような感じがします。あくまでも患者さんと一緒に考えていく、という関係性づくりをめざしたいものです。そのためには「どれを選んでも一長一短です。あなたが選んだものに私は最後まで協力しましょう」という姿勢をとれたらいいと思います。 もっともよくないのは「私のいうことが聞けないのなら、もう来なくていいですよ」という寂しい関係性だと思います。
医師の側もまた、患者とのコミュニケーションがとれればより多くの満足が得られるといわれており、実際医師の間では「燃え尽き症候群」が蔓延しているそうです。本当の意味で有能な医師は患者とのやり取りの質も高く、満足度が高く燃え尽きにくいそうです。

医療とはそれが西洋医学であれ東洋医学であれ、病む人の援助のための領域です。したがって、使えるものはいいとこ取りをしながら目の前の患者さんの幸福を最大化することを考えたい場合、本質的に医療は「学際的」であるべきなのだと思います。つまり単一の科学の方法論であるのではなく、様々な科学や方法論の併用、調和、相乗効果まで視野に入れるべきなのです。 ですから、医学の領域に「EBM」と「NBM」という二種類があると考えるのではなく、医療というものにこのような二つの側面があり、相互に補完しあうことで完成すると考えるべきでしょう。

地味な取り組みを続ける努力

このようにようやく関心が高まっているNBMですが、理論や実践的な方法が整理されていないため、気持ちでは導入したいけれども具体的にどうやったらいいかわからないという声が多いのも確かです。 しかしNBMはマニュアルがありそのとおりにやれば効果てきめんというテクニックではありません。患者さんと対話をしながら、いろいろな物語があることをさぐり、治療という点ではそのときに一番使いやすいものを一緒に考えていくことで、実際の治療の効果も上がっていくでしょう。

病気を直接治すことにはつながらないかもしれません。でも、患者さんとの良い関係を継続的につくっていくことができれば、情報がたくさん入ってきます。情報交換がうまく行けば診断ミスをする可能性も低くなりますし、治療方法の変更もスムーズにできるでしょう。良い関係があれば患者さんからのクレームも減るはずです。NBMの実践で、治療する側もされる側も報われる時代を期待したいものです。

ヨガセラピーの現場でも

寄り添うというセラピー リストラティブヨガも効果云々ではなくご本人が「気持ちよかった」「満足した」と行っていただける関係性の方が大切だったりします。 特にヨガそのものがありのままを認めること、矛盾をも受け入れることを意味します。 ヨガ・セラピーとは、生徒さんの話を聞いてあげる癒しはもちろんのこと、ヨガの時間を見守り共有しながら、その人が自分で自分の物語を聴けるようになること、自分を受け入れるお手伝いをしてあげることかもしれません。

否定しないということは、ヨガの教えではアヒムサ(非暴力)です。否定されたら傷つきます。
また、地道な努力をして続けるということは、ヨガの教えではタパスです。

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