空気はいつから読むものになったんだろう
「うまくできない」
子供のころはそんなことを気にしただろうか。
大人になるにつれて、ただ存在しているだけで愛されていることを忘れてしまう。
リストラティブヨガのクラスでも「どんな感じがすれば正しいですか」という質問がくることがある。
気持ちはわかる。大人だからだ。
あってはならない状況を避けなくてはならないーがすべてにおいて先行するのだ。
でも、空気はいつから読むものになったんだろう。吸うものだったはずなのに。
皮肉なことだが、完璧なリラックスを求めれば求めるほど、リラックスできる状況は離れていってしまう。
リラックスのためには、完璧さを手放さなくてはならないのだ。
今の社会には完璧が蔓延している。どちらを向いても、完璧を目指し、期待にあふれている。
でも、鬱や緊張は「過度な期待」と失望の賜物ではないか。
完璧をのぞむ心は、自分への許しを失わせてしまう。
もっと気づきたい気持ちを盲目にしてしまう。
自分にも、他人にも、トライ & エラーを許せない。冒険を許せない。
ヨガの練習は、ピアノの練習のように「なんで練習してこないの!」と言われる必要がないのです。
「クラスに来てくれてありがとう」が、言われる言葉です。
プラクティスとは完成を目指していくことではなく「反復しながら学ぶ」ことです。
1回2回ヨガをしたからといって、劇的な変化を期待してはいけません。ヨガを生活に、人生に組み込んでいって、次第にその意味が分かってくるかもしれない、それぐらいヨガの効果は目に見えにくいものだと思います。
ヨガは、やればいいのはわかっているのです。だからこそ「やりたくなるように仕向ける」のがヨガの先生の仕事なのではないかと思います。
息子には、あなたはいるだけで愛されているのよ、ということを伝え続けたいです。