自然に学ぶ畑仕事:どうしようもないことがたくさんあるのだ
諏訪雄一さんが主宰される子安の里(永田農法)の畑仕事に参加させていただいています。
永田農法とは
http://www.geocities.jp/skyfarm_3192/nagata10.html
土を、森を、畑を、海を見たのがすごく久しぶりでした。ずっと都心をでなかったことに気づきました。長靴を履いて軍手をはめて、鎌を持って草むしりをすること15分で、スポーツやサウナでは得られない汗が溢れ出します。小学校の頃、タオルを背中に入れて山登りの遠足に出かけた感じ、頭から湯気が出ているのでは、とすら思います(思わず出てる?と聞いてしまいました)目の前にある雑草と黙々と格闘しながら、森田療法という私がヨガを教えている大学病院に療法センターがあるセラピーのことを思い出しました。精神的な病の治療に用いられる作業療法。目の前の単調な作業に没頭すること、しかもそれが自然を相手にした営み、だとすればやはり人としての原点に立ち返ることでもあるのかな、と思いました。作業のあとに食べたおにぎりの美味しかったこと。
じゃがいもが土の中に埋まっていたのを掘り出し、並べる。
諏訪さんの本に書いてあった一節を思い出した。
来てよかった。生きていれば、どうしようもないことがあってあたりまえなのだ。
小学館「おいしさのつくりかた」より
自然は私たちの頭で考えているようにいかない。ということ。実は、今の生活の中で、そのことを体感することの意義は、とても大きいと思う。テクノロジーの発達で、我々の生活は冷暖房完備の住居に始まり、自然の影響、とりわけ変動を受けない暮らしにシフトしている。あたり前のことだが、石器時代から見れば、私たちはどれだけ自然から分離してきたことだろう。しかし、ここに落とし穴がある。我々も地球に生まれた生命である以上、どんなに科学が発達しようと自然界の揺らぎから完全に逸脱することはできないのだ。そのことをややもすると忘れて、全てが頭脳で描いた通りにいくのだ、いかせなくてはいけない、いくはずだ、と錯覚してしまうことがある。家庭菜園という笹稲葉ではあるが、野菜を作っていて体験する様々な出来事は、「我々は自然の中で生かされていて、どうしようもないことが沢山あるのだ」ということをあらためて認識させてくれるのである。