楽をして次を待ってみること
うつや不安という「どん底」がもつ意味。
自分のアイデンティティが崩れ、次が見つかっていない状態。次の場所に行けるのだろうか。
でも、変化の瞬間は、とても不安定でありながら、限りなく可能性に満ちている。ライフステージが変わるとき、何かを学び取る儀式には痛みを伴うものだ。
人生そして命は静的ではなく変化しつづける。代謝し続ける細胞がそのよい例だ。何かを手放さない限り進化はできない。
困難が起こったとき、人は次にくる何かで埋めたいと思う。埋まっていない瞬間が不安でたまらないのだ。目にわかる変化を期待するのだ。
No Pain No Gain と思い、もがく。
しかし、実際は痛み(Pain) は、筋肉の緊張を高め、神経のオーバードライブを生むでしかないのだ。だからこそ、何も埋まらなくても、とにかく従ってみることだ。それも、ただ生き抜くだけよりは、穏やかでいること、リラックスして過ごすこと、その変化を受け入れることを心がけていると、予想だにしない新しい次がやってくる。
それでも、哀しみは永遠に続かない、とは頭(知識)では聞いたことがあるかもしれないが、体でそれを実感することがまだできていない。そのためにヨガがあるのです。
古いインドの哲学では変化するものすべてをプラクリティといいます。物事は変化すればするほど不安定になっていく。唯一変わらないものを魂(プルシャ)と呼ぶ。体、感情、経験、相互関係、希望、考え、夢、すべての知覚、呼吸すら生きている限り続いていく。それに比べれば、心や感情の寿命は驚くほど短い。感情は私たちではないのだ、変化するものは私たちでない。私たちのその時の状態に過ぎない。今の感情、気づきにロックされる必要はないのだ。
不安や鬱が、あなたが今抱きしめている自分の感情の一形態に過ぎず、あなた自身でないことがわかれば、あなた自身は何なのか、ということを考えるようになります。今まで外(自分の哀しみをもたらしていた原因)に原因を探していた矢印が、自分の内面(自分の感じ方)に原因を探る旅に変わります。辛い感情を、優しく抱きしめられるだろうか。
痛めつけることが必要なのではなく、痛みを見つめることが大切なのだ。体を楽にすると、痛みが見えてくる。体を楽にしないと、何も見えてこない。