メディカルヨガ

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何かが足りなかった時間はきっと何かをもらえた時間

記録のために記しておきます。

いやー、辛かった。
連日(3週間近く)徹夜で明け方帰ってくる主人とのすれ違い生活。
最初は耐えていたのですが、だんだん神経回路が上書きされてくる。
怒りたくないので、それを押し殺すには心を閉ざすしかない。
自分の視界に主人を入れないようにしていました。
目を合わせたくない、口をきくのも嫌になってくると、本当に体がそのように反応してしまうのですね。

息子には、お父さんはお仕事だから、と。
息子との生活はそれなりに成り立っていました。
仕事もあったので母に預けたりもしましたが、一緒に入れる時間はとにかく一緒に笑った、目を合わせた、おしゃべりをした。
どうやったら怒らないお母さんになれるか、の挑戦もしました。
「お母さん、頑張って怒らないから、航ちゃんもいやいやしないでね」と根気づよく心を通わせる努力をしました。

息子を独り占めできた毎日は、とにかく可愛くて、ほおずりして、マントラとなえて(コラムはこちら)可愛いパジャマ着せて、抱きしめて、の毎日でした。

もちろん怒りましたヨ。だけど、3割バッターは無理ですが、空振りばかりだった私の子育ても、1割ぐらいは打てるようになってきた手応えです!

だけど、この期間にもうひとつの気づきが。
ずっとお世話になっている先輩に「イライラしたときはやり過ぎなのよ。手を抜きなさい」と言われました。確かに、自分に余裕がないときに、相手を責めたり、叱ったり、善悪を述べ裁きたくなったりするようです。

産後クライシスのまたの名は「私はこんなに頑張っているのにあなたなにやってんの」ではないかと思います。「仕事さえしてればいいと思ってんの、こっちは仕事して、子育てして、家事もやってんのよ」という声が聞こえてくるのは我が家だけではないでしょう。

ヨガの語源は「いる」ですよ、なんてお話ししている私も、家の中では「あなたが何もしてくれない」と愚痴る「くれない族」です。結婚したときはお互い「きみさえいれば幸せだ」と言っていたのに、だんだん「いてくれること」への感謝は薄れていきます。いや、あたまではわかっているのですが、どうしても日々の生活に追われ「相手が何をするか」にばかり目がいってしまっているのかもしれません。

そう思うと、主人の方がはるかに寛容です。「朋子が笑ってくれていればそれで十分だよ」と言ってくれます。私なんてひどいものです。主人が笑っていたらでてくる言葉は「笑っている暇あったら洗濯たたむの手伝ってよ!」

先輩が言ってたのは正しくて、余裕のある方に勝算があります。仕事だけしてればよくて楽でいいわね、と私に責められていた主人は、仕事以上のことをしてしまうと余裕がなくなってしまうのを本能的に知っていたのでしょうか?!

しかし、幼いころからの愛読書は私に「それでも女性は頑張るのよ!」をやめさせてくれません。。漫画の中に「たとえ昼寝すら!」とありますが、確かに昼寝すらリストラティブで効率的にとろうとしてしまっている・・・職業病。。

主人と口こそききませんでしたが、掃除、洗濯、幼稚園、習い事、仕事の打ち合わせ、病院、次々とこなし、主人の体が心配だったのでお弁当だけはかばんの横においておくようにしました。
でも、本当はわかっていたのです。主人は私にそんなことをしてほしかったわけではなく、家で笑っていてほしかったということも。3週間の徹夜も主人が好きでやっているわけではなく、一番しんどいのは若いからと働かせられる主人なのだということも。主人を心配する前に「自分が可哀想」と思ってしまうのはただの自己保身だということも。

夫婦はお互いさま。
連日徹夜で働かせるスタイルは本当に堪え難いけど、せっかく激務も終わったので仲直り。

きっとあとで振り返れば、さみしくて母子家庭で頑張っていた日々は、息子を独り占めできた甘い時間だったことを思い出し、街でファミリアのパジャマを見かければ涙ぐんでしまうかもしれません。

何かが足りなかった時間は、何かをもらえた時間。
私ももう少し、余裕をもてるように頑張ります。

結局は「耐えてるつもり(私)が耐えてもらっている」なのかな。

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