Facebook とのつきあい方:私も悩みました
Facebook、今もほどほどに続けています!
実は先日、下記のような決意を固めておりました。
一度決意し残された日々を過ごしてみると、結局はつきあい方は自分自身次第なんだ、と思う余裕がでてきました。
時代に流されているといえばそうなのですが、これからの時代のひとつのツールなんだと思います。
仕事上でも連絡に使ったりするのは便利。
今の私には最低限の機能だけで十分なので、家族との時間第一、この決意を忘れずにこれからも使ってみようと思います。
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2014年3月31日をもって、しばらくの間Facebook をクローズさせていただきます。
これまで Facebook上で交友を持ってくださったみなさま、本当にありがとうございました。
今後近況等はメディカルヨガコラムやブログの方にあげさせていただきます。
メディカルヨガコラム
http://medical-yoga.luna-works.com/column/
みなさまの近況を拝見する機会も減り疎遠になってしまう気がするのはさみしいものですが、広い空の下、必ず縁あればどこかでつながっていると信じています。
しばらくは、家族との本当の時間を大切にしたいと思います。
少しハイテクに疲れてしまい、ローテクに回帰したくなったのかもしれません。
Facebook を始める前は、夫婦さえ仲が良ければいいと思っていました。でも、小窓であればよかったものの、家の窓は自分が思っていた以上に「大窓」でした。
イベントのお知らせや、活動の紹介など、便利なツールではあるのですが、毎日行き来するお知らせの洪水に、自分の情報処理能力の限界を感じてしまいました。
時々たずねあうぐらいの関係がちょうどいいような気がしてきています。
お釈迦様の目が半目なのは、外の世界をみる必要はあるけど、外の世界に人は振り回されてしまうものだから、半目ぐらいでちょうどよく、その分自分の内側を見つめることでバランスがとれるのだということなそうです。そう考えると、今の時代はみんな目が飛び出している!?
そう、私自身もいつのまにか忙しくしすぎてしまい、家族に対しても余裕がなかったことの反省もあります。でも、忙しかった期間、息子とじっくりつきあって気づいたこと。本当に大切なのは誰なのか。
自分の手のひらの幸せにじっと目をやる妻であり母でありたい。
余裕がなくなり、心が荒み、私たち家族が、手遅れになる前に。
(Facebookが心を荒ませるという意味ではありません、私自身のつきあい方の問題でした)
成長過程にある息子にも、使わせたくないから、という理由もあります。
大人になって、うまく使いこなせるようになれば便利なツールだとは思うのですが、大人の私ですら使いこなせないものを、小さな航一が翻弄されるのをみたくない、ということ。
影響力はあるけれども、なくても生きていけるゲームのようなものかな、とも思いました。
息子には、大切なともだちにはペンと紙で手紙を出す人になってほしいと思っていました。
ならば、私もそれに戻ろう。
これからは、パソコンの恩恵の住所録をもとにゆっくり手紙をかいたり、時々は思い出したようにコラムを書いたり、そういうことにITを使っていきたいです。
先日、ある方から「アーティストデート」という言葉を教えていただきました。
一週間に一回、自分の中のアーティストと好きなことをするデートを楽しんで、自分と親しくする、ということだそうです。自分のことをアーティストだなんて思ったことが生まれてこのかたなかったので衝撃の概念でしたら、もしかしたら小さなアーティストが眠っているのかもしれません。
でもそれは、家族とのアーティストデートでもいいのかな、と思います。
息子のアーティストな部分とデート。主人のアーティストな部分とデート。夫婦のアーティストを楽しむ。家族でアーティストになる、など。
話が本題からそれてしまいましたが、Facebook でいただきましたあたたかいコメント、イイネ!などにどんなに励まされたかわかりません。写真や投稿、みていただきありがとうございました。
それでもなお、しばらくは大切な家族との限られた命(時間)を大事にすることに全力を傾けたいと思います。
末筆ながら、みなさまの変わらぬご活躍、ご健康をお祈りしております。