ヨガの先生トライアスロンに挑戦する(第一子 Story ) – あとがき
わたしの考えるヨガ
《ヨガの目的はリラックスの先にある》
ヨガというとリラックスというイメージがあるかもしれませんが、人生はリラックスするためにあるわけではありません。私たちがこの世に産み落とされてから、特に人生の青年期、壮年期は、様々なものに興味を持ち、やる気をもち、達成を目指すのです。しかし、過度な情報化社会、競争社会は私たちに文明ストレスという「苦」を与えます。古代インドでもヨガはなぜ興ったかというと「苦しみ(輪廻)からの解脱」という目的があったからでした。現代人がヨガをおこなう意味は、現代における「苦」つまり、時間に終われ、呼吸が浅く、自分を見失う、から少しでも救われるためなのではないでしょうか。
《リラックスの先にあるもの:若さは輝きたい》
寛容とは強くなることと優しくなること
若いうちは体力があることは当たり前に思えます。でも、年を取るにつれて、忍耐強くなくなる、面倒くさくなる、やる気がなくなる、などという一見性格的な弱さと思われる側面が露呈してくる原因が、体力の低下だということに気がつく人はそう多くはないのではないのでしょうか。体のゆとりのなさは、やはり心のゆとりのなさと関係しているような気がします。
運動やスポーツを通じて、何かに挑戦し、目標を達成していく過程で、人は自信をもつことができるでしょう。体力のゆとりは心のゆとりにもなります。
他のスポーツに応用したい,という人が増えてくれたら
トライアスロンは市民スポーツです。
ヨガもそうですが、私のような未経験者こそがトライアスロンに挑戦する楽しさを伝えたかったのです。もともとアスリートではない、また仕事ももつ一般人は、より頭を使って戦略的にトレーニングをしなければなりません。
横断歩道すら走るのをおっくうがっていた私でも始められたように、私のこの記録が、市民が挑戦できるハードルを下げてくれることを願います。