余韻を楽しむという練習
On the Mat : ポーズとポーズのあいだ
私たちは作り物の中に居たがる傾向がある。わかりやすいヨガのポーズもそのひとつだ。ポーズの練習は、ポーズAをやり、ポーズBをやるそれぞれにあるのではなく、ポーズの出入りのときにあるのかもしれない。隙間、つまり隙があるときこそ、気づきの瞬間ということだ。
リストラティブヨガのポーズが終わってからすぐに立ち上がる必要はないのだということ。余韻に浸っている時間は決して時間の無駄ではない。
人生においても、私たちは目的地に急ごうとするあまり、急ぎ、気づきを欠き、野望を持ちすぎてしまう。ヨガはそんな私たちに曖昧な時間をくれる。
Off the mat : 旅か目的か
現代文明は結果主義を応援してきた。ドライブの最中、子供は「いつ着くの」を連呼する。
大人は一生懸命やって状況を良くしようとする。しかし、往々にして一生懸命メソッドは状況をよくしない。「やらなくては」「結果を出さなければ」という気持ちは自分に高い期待をかけ、内面のプレッシャーを高める。リストラティブヨガは永遠の薬ではないから、決して完結することのない期待には応えられない。真の価値は結果ではない。ヨガが与えてくれる宝物は、そのプロセスを楽しむための余裕を与えてくれたり、必要以上に心配しなくてよくしてくれたりすること。
インスピレーションは生真面目からはやってこない。発見の多くは故意に起こることの方が多いのだ。心と体がワクワク冒険できるときに発見される。リラックスできていないと、冒険は、切羽詰まったサバイバルになってしまう。「ねば」「時間通り」を課してはならない。何かを正しくするのではなく、ただ心を込めておこなう。そのことが、自分のことを予想もできないような新しい場所に連れていってくれることにワクワクしてみよう。
ヨガのポーズも、人生も、余韻を楽しむ。