ヨガと医療
医療を補完するヨガの可能性
米国の国民健康インタビュー調査の分析によると、補完統合医療としてのヨガの利用は2002年の5パーセントから2012年には9パーセントへ、2022年には15.8パーセントへと増加しています。その背景は一概に説明できませんが、NCCIHによる健康情報の発信、臨床実践ガイドラインへの組み入れなどが追い風となり推進された可能性があります。
ヨガはインドに発祥し、伝承されてきた霊的修行法ですが、現代に至るまで様々な文化的影響を受け、変遷してきました。ヨガの臨床効果を検討する研究論文においては、主に呼吸法、自らの体の動きとのマインドフルネスな向き合い方、休息、瞑想法などを組み合わせたプログラムがヨガとして定義されています。これらの練習を通じ、身体的、心理的にストレス反応に拮抗する変化が生じます。例としては、緩呼吸による心拍変動の増大や、緊張と弛緩を利用した筋緊張の緩和などが挙げられます。
ヨガは非薬物療法として以下の3つの側面から医療を補完できると考えられています。
(1) リラクセーション反応によるストレス軽減法
(2) 身体の経験(Somatic Experience) による心理療法
(3) セルフケアによるストレスマネジメント・患者教育
私を含め、ヨガセラピーの指導者は国家資格としての医療従事者ではありません。医療の現場でヨガを提供する際には、ヨガセラピーを治療として標榜しないこと、患者の個人情報などの取り扱いを含め、細心の注意が必要であることが、医療倫理としてヨガセラピストには徹底される必要があります。また、その実施には有害事象が起こらないようなリスク管理が必要となりますが、万が一、有事の場合に被害を最小限に抑えられるような対策を講じておく必要があります。
何らかの健康上の不具合を抱えた方がヨガに健康効果を期待し、アクセスする場合、次の3つのルートが考えられます。
(1) 市井のヨガクラスに参加する
(2) 疾病に特化したクラス(乳がんヨガなど)に参加する
(3) ヨガを学んだ医療従事者からヨガの指導を受ける
当然ながら、順を追うごとに医学上のリスクは低くなる一方で、提供の機会は制限されます。私は一般社団法人日本ヨガメディカル協会ならびに一般社団法人BCY Institute Japan(BCY : Breast Cancer Yoga)を通じて、(2) (3) が安全に広く行われる環境構築を目指し活動しています。
活動を通じて得られた気づきとなりますが、乳がんヨガの領域では、乳がんを体験した女性の方が自分の経験をもとに、ヨガを伝える側になりたいと指導者を目指されています。また、ヨガを学ばれた医療従事者の方は、患者さんよりまず自分のストレスケアに必要だと口を揃えておっしゃいます。
ヨガという健康情報
自分自身もヨガにより健康面での恩恵を受けたと感じていますが、「ヨガは健康に良い」という表現は、「カレーは身体に良い」というのと同じぐらい、曖昧な表現だと思っています。
メディカルヨガという言葉には、「ヨガで健康状態を改善できる」という期待が反映されます。自らもヨガの健康効果を感じながら、ヨガに取り組みながらも重篤な疾患に罹患する方、逃れられない悲嘆に向き合う方などを見てきました。私自身、ヨガを伝える立場にありながら「ヨガは健康に良い」と公言することに戸惑いを感じ始めました。
研究者の弛まぬ努力により多くのエビデンスが蓄積されている、ヨガの効能について、活用してもらうためにはどのように伝えていったら良いのか、を明らかにしたく公衆衛生大学院の門を叩きました。そこで医療が不確実性を前提にしているということ、エビデンスにもレベルがあり、EBMがエビデンス単体による医療を意味するものではないことを理解しました。
EBMは本来、データとしてのエビデンスありきではなく、臨床家の経験や患者が置かれた状況を総合的に考慮することであり、一回一回、患者さんの今と向き合いできることを一緒に探していくことが必要となります。
ヨガについての量的研究が数多く行われてきたおかげで、緊張や不安に一定の効果がありそうだということは明らかになってきました。一方、質的研究による患者の経験(ナラティブ)にもぜひ耳を傾けていただきたいと思っています。
with-ness 自分の経験と共にあること
科学の眼でヨガの効果を検証するためには、呼吸数や動きを揃え、統一された尺度で測定した結果が参照されます。実践家としてエビデンスと共にお伝えしたいことは、安全を心がけるヨガクラスであれば、そのプロトコルには再現性があり得ないということです。再現ができるとすれば、それは非常に危険なヨガとなります。ヨガを行う主体が「今」何を感じているかは刻々と変化し、伝え手との関係性にも影響を受けます。対象者の状況の変化に対応しようとすれば、おのずとヨガのあり方はつど変わっていきます。ヨガを本当の意味で安全に提供していくためには、その哲学の根底にある「非暴力」という概念が、一人一人のありのままを受け入れ、丁寧に対応していく必要性を提供側が理解しなくてはならないと考えています。
ヨガというセラピーは、心理療法家のジョン・ショッター氏の表現を借りれば「ウィズネス(with-ness)」的なアプローチであると考えています。対峙する概念として「アバウトネス(about-ness)」があります。「アバウトネス」な考え方とは問題を細分化し、「○○について考える」つまり、客観的に分析するアプローチです。これに対し「ウィズネス」は正しい答えを最初から持ち込むのではなく、「共に考え合う」という姿勢です。この「共に」は、ヨガの指導者と生徒が共に考え合うことだけではなく、最終的には自分のありのままの心身と向き合うことを通じ「自分が、自分と共に考え合う」ことでもあると考えています。
ヨガは怪我をしないという妄信
先に有害事象について触れましたが、他の運動と同様、もしくはそれ以上にヨガには重篤な損傷を引き起こすリスクがあることはあまり知られていません。ヨガの魅力に取り憑かれ、練習に真剣に取り組みすぎた結果、取り返しのつかない損傷を負ってしまうこともあります。がんのガイドラインにヨガが取り入れられたからといって、ヨガを行っていれば重篤な疾患や不慮の事故を防げるわけでもありません。ヨガも医療と同様、不確実性を孕んだものであり、盲信は危険であるということを、実務家としても研究者としても伝えていかなくてはならないと感じています。
ヨガに関するエビデンスは、本ホームページのリンク集(リンク集へのリンク)をご覧ください。
参考文献
- 岡孝和. (2023). ヨガ. 心身医学, 63(3), 265-269.
- NIH analysis reveals a significant rise in use of complementary health approaches, especially for pain management
- Shotter, J. (2006). Understanding process from within: An argument for ‘withness’-thinking. Organization studies, 27(4), 585-604.