心の動きから自由な存在になる
「ヨガとは心の動きを止めること」というフレーズは、ヨガを始めた方はきっといつか巡り会う言葉かと思います。練習に練習を重ねながら、ポーズも呼吸も瞑想も、すべては「私たちを苦しめる、心の動きを止める」ためにあるわけです。
私がリストラティブヨガが好きなのは、もしかしたら(もしかしてでなく、日の目を見るほど明らかに)怠け者だからかもしれません。いや、少々いいわけをすれば、産休中や病気中は、頑張りたくても頑張れなくなったり、ちょっとお休みモードに入ってしまったり。世の中すべての人が、まじめに練習に取り組める「やる気があって頑張り屋さん」ではないように思うのです。リストラティブヨガのいいところは、そんな、頑張り屋さんでなくてもヨガのよさを享受できるところ。
リストラティブヨガの恩師であるジュディス先生はよく言いました。
「あなたは、あなたが考えていることとは違う存在なのよ。安心して。」
今、出産を控え、いろんな想いが頭をよぎります。あんなことやこんなこと、親として考えてはいけないようなことや、最悪のシナリオなど。
だけど、いつも先生の言葉を思い出すたびに、救われるのです。
私はこんなひどいことや怖いことを考えてしまうけど、私そのものが怖かったりひどかったりするわけではなく、私が今考えていることは、やっては去っていく波のようなただの「考え」なんだ。と。
私たちが「心の動きを止める」ことがどんなに簡単なことではないか、はよくわかります。そんな簡単に止められないから、ヨガは3000年も伝えられてきたのでしょう。でも、これは、コインの裏を返せば「心の動きから私たちが自由になる」と読み替えることもできるのです。
リストラティブヨガはわたしたちに「疲れていると、どうしても心の動きに振り回されたり執着したりしてしまう。
だから、まずはしっかり(脳と神経を)休めて、心の動きから自由になる、避難する時間をもちましょう。そうすればきっと心も元気になりますよ!」ということを教えてくれます。
疲れているときは、頑張るのではなく、自分を上手に休ませるに限るのです。
そんなとき、あたまを背骨に乗せた状態での瞑想は難しいのです。
頭のスイッチが「本日閉店!」とシャッターを下ろせるよう、頭を少し下げた状態で、夢かうつつか、という状態で私たちの脳と神経は安心して休むことができます。
自分を休ませ上手になれば、心の動きからも自由になるのがうまくなってきます。
といいながら、わたしもまだまだできていませんが・・・
ヨガの教えに救われながら、今を生きて(生き延びて)います。