違いを認めることからの出発:男脳と女脳
恋をしているとき、男の人は「視覚」を司る脳の部位が活性化していると言われています。視覚で、この女性は健康な子供を産めるかを判断する能力が歴史的に埋め込まれているからだといわれています。対し女性は「記憶力」を司る脳の部位が活性化していると言われています。これは「子育てに協力的か」ということを、その男性がどんな人だったか覚えていることで判断する能力が必要とされていた結果だといわれています。
現代の男女は狩猟時代のころと異なり、結婚し子供を産み育てるというだけでなく、その後の人生をいかによき伴侶として生きるかということも問われています。結婚後、恋をしているときに大量に放出されていたアドレナリンの低下や、離婚の危機を乗り越えていくために大切になってくること、それは、男女で求めることがもしかして異なり、相手が求めることをお互いに満たしていく努力ができるかだ、という研究が米国では行われているそうです。そしてなんと、夫婦で参加するそのためのワークショップがあることも、アメリカらしいなと思います。
女性は「話を聞いてもらい、自分の感情を理解してもらいたい」という欲望があるそうです。なので、それを満たされないと、不満がたまっていきます。男性は「批判、分析すること」が好きなあまり、女性にそれをしてしまうと、批判をされた側は確実に「防御」の姿勢に入ります。批判と防御が始まると、次ぎにくるのは「見下し」という行為だそうです。これが積み重なって、男女はお互いを理解でいなくなり、理解しようという気持ちが失われ、離婚に向かっていくとのことです。批判、防御、見下し・・・戦の攻防と征服、服従という構図となんだか似ており、やはりそこに和解やハッピーエンディングはなさそうです。
申し訳ありません、女性側のことだけ述べてしまい、男性の特性がどうなのかは女性の私には確かなことを書けませんが、女性は自分の気持ちをわかってもらうことでものすごく幸せな気分になる、ということは私自身もそうだな、と思います。
アメリカのワークショップで行われていたのは、男性が批判や分析を一切せずに、女性の気持ちを受け入れようとする取り組みでしたが、これが簡単にできたらヨガは社会に必要とされていなかったかもしれませんね。
先入観をもたずに受け入れるということは、練習が必要とされるほどに難しいのです。
ヨガにおけるスピリチュアルな練習とは「先入観をもたずに、善悪の判断を一切することなく、今目の前にある状況を静かに優しい気持ちで観察すること」であり、そのために私たちは呼吸法をしたり、ポーズをとったりするわけですが・・・
男性が女性を「異なる思考回路をもっているけど、愛しいやつ」として受け入れ、女性が男性を同じように受け入れることができれば、男女はよきパートナーとしてやっていけると、そのワークショップではまとめていましたが、まさにヨガでも「二律背反するものが(二律背反しているからこそ)、お互いを否定せず、調和して、共存することに、この世界の可能性がある」と説いていると思います。
仲良くすることって難しい、だけど、必ずそこには価値がある、と男女の脳の違いを勉強しながら思いました。