メディカルヨガ

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タイの母の日に:小さな我が子に伝えたいヨガ

8/12はタイのお妃さまの誕生日で、母の日の祝日でした。 ブータンからの帰り、タイ経由で成田行きのフライトに乗り換えようとしたところ「今日から3連休だから飛行機が足りなくなっちゃって」ということで、母の日の休日、タイで次のフライトを待機することになってしまいました。
思いがけない足止めでしたが、嬉しかったのは、母親である女性は皆地下鉄がただだったこと、ネイルサロンでペディキュアをできたこと、そして最後免税店で主人が母の日のプレゼントにハンドクリームを買ってくれたことです。 でも本当は一番嬉しいのは、日本に帰ってきてからも変わらず一輪のバラを贈ってくれる日々を続けてくれていることです。人間、気にかけてもらえるということは素直に嬉しいものです。

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母になるということは、自分にとってとても濃密な人間関係が一つ増えることだと思います。自分の子供とは、とてつもない確率で自分のところにやってきてくれたかけがえのない人間です。それほど大切な相手との人間関係を円滑に構築するために、母親となった私たちはいろんなことをし始めるような気がします。まず、自分は何者なのかを考えるようになります。自分の選択が正しいのかを問うようになります。自分の優先順位や価値基準は健全だろうか、と考えるようになります。そして、自分の心の中を愛情と慈しみで満たしたくなります。だからといって、日々何かに腹を立てたり、がっかりしたり、子供に振り回されたりすることから無縁かというとそんなことはありません。親として何をしてあげたか、ということでもありません。子供の存在も自分の存在も天からの授かりものであると同時に、やっぱり私たちって人間なのね、と思うことしばしばです。

子供が自分に話しかけてくること、それは、大人の視点から見たらもしかしてその子の年相応なんだな、と思うことばかりかもしれません。それでも一生懸命耳を傾けることによって、子供は「お母さんにとって僕は大切な存在なんだ」「愛する人と、感動を分かち合っているときってなんて素敵なんだ」「気にかけてもらえること、理解しようとしてもらえることってなんて嬉しいんだ」という感情を抱くに違いありません。そしてそれは、年齢に関係なく大切な感覚であるはずです。

子供はいくつになっても自分の親がどれだけ自分を愛し、守ってくれたのかを理解することはできないのかもしれません。親というものは自己満足しながら無償の愛を与え続けていくのでしょう。赤ちゃんの頃だけでなく、思春期に悩む子供の姿、そして反抗期までも、親にとっては愛おしくて仕方ないものです。親になればわかります。しかることとしつけは違うということ。与えることと許すことは違うということが。

ヨガのポーズも「Abhyasa 自己統制」「Vairagya 執着からの解放」から成り立っています。だからこそ、私たちはヨガのポーズにバランスを見いだそうと努力するわけです。親であることも同じではないでしょうか。日々の様々なこと、一緒に入るお風呂、毎日の食事、学校であったことの話、台所でのお手伝いやたくさんの初めてのこと、歩み始め、初めてのお使い、初めての遠出などに、私たちはバランスを見いだそうとしながら子育てをしていくのだと思います。

ヨガの練習は、何かを達成することではなく、毎日マットの上に立ち、実際にやることに他なりません。毎日が新たな練習であり、練習の積み重ねが健やかな心と身体を作っていきます。子育ても同じように、毎日子供たちと愛情にあふれた時間を共有しながら、長い時間をかけて子供の健全な人格を形成していくわけです。そのためには親としての完璧さを求める必要はまったくありません。少なくとも学ぶ気持ちを失わず、よく笑い、地に足をつけて、挫折せずに取り組み続ければいいのです。

Tomoko Okabe 一児の母。母親としての旅は始まったばかり。

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